ドラマティックさに欠けてる

さよならの理由は、幾らもあるのに。

冬が始まる。

「毎年できることを当たり前に思わず一公演一公演全力で、お客さんの思い出に残るように」

 

初日を前に康二がそう言った。

きっといつもならそんなに深く考えないであろうありきたりな言葉も、今は深く突き刺さる。

それと同時に、与えられる側の私はなんて無力なんだろうと実感する。

 

 

脚を負傷した。それはもう盛大に転んだ。嘘。スマートに着地した。そう、膝で。受け止めたんだ、全体重を、膝で。重かったんだ、私の龍太くんへの愛ぐらい重かったんだ()

恨むぜ風磨・・・・(収録押した)(新幹線間に合わないと焦った)(風磨とばっちり)(でも最高に面白かった)

 

前回龍太くんに会いに行った日は食中毒で死にかけ(入院拒否)だったし、なんだ?龍太くんに会うためにはミッションをこなさなければならないのか?なに?あの人ラスボスなの?へ~それは知らなかったわ・・・どちらかと言えばラスボスって浜中文一*1だけどね。

 

とまぁそんなハプニングもありつつ、明日からクリパが始まる。

今年も、始まる。

1年前は特に仲の良い人と察しの良い人にだけ龍太くんの話をしていたし、松竹へ行ったことも一切ツイートしなかった。

まぁその話は過去記事参照なんだけど。

mlkt.hatenablog.com

 

その当時を否定するわけではないけれど、やっぱり堂々と「クリパ楽しみー!」なんて言える今はとても楽しい。

しかも今年の冬は去年とは違う。隣に友達がいる。

でも今年は去年とは違う。あの日、緊張して握りしめていた団扇がない。

 

「団扇って持つ意味ある?」

そんな発言をしていたのは増田担の頃。

団扇ってファンアピールしてファンサもらう物でしょ?ファンサしない増田さんの団扇って持つ意味あるの?なんて思ってた。

しかもそれは、有岡担だったときも神山担になったときも変わらず。

私にはファンサを要求する道具にしか見えてなかったし、そのつもりでしか持っていなかった。

更に私は、1年前のあの日持った龍太団扇もそんな想いで握りしめていた。

別にそれは間違いでもなければ悪いことでもない。

ただ、ある日を境に私にとっての”団扇を持つ意味”が変わる。

 

遠く且つ埋もれている私達に一生懸命手を振ってくれる龍太くんを見た。

ただ単純に見つけてもらえた嬉しさと同時に、こんなところまで見てくれるんだととても感動した。

しかもそれは1度だけじゃなかった。

 

 

応援、ってなんだろう。

CDを買うこと?グッズを買うこと?コンサートへ行くこと?こうやってブログに重い愛を綴ること?

 

アイドルにとって声援の大きさや団扇の数ってとても重要なのに、最近の少年収はとにかく「声援の大きさを平等にしろ」ってうるさい。まぁこれはテレビなんだからしょうがないんだけど。

自分の団扇・声援(ファン)が少なくて悔しい、だから頑張ろう、とか。

自分の団扇(ファン)がいる、だから頑張ろう、とか。

きっと思うだろう。

でもそれは私の想像であって、龍太くんの口から聞いたわけじゃない。

もしかしたら団扇なんてなくなればいいのに!なんて思ってるかもしれない。

 

私はあくまでも”趣味”だから所詮自己満足の世界であって。

団扇が持てない現場に意味を見出せなくなってしまった。

その席にいるのは私じゃなくてもいいんじゃないかって。

ただ見たい、会いたいってだけの欲求は正直今までは1回で満たされてた。

今までアイドルのファンっていう趣味に一つ”応援する楽しさ”を彼に覚えたから、沢山会いに行っていただけで。

 

じゃあなんでクリパにたくさん行くのかって、私が1年前とは違うから。

満たされてたんだ、今までは1回で。

もうダメなんだ、会いたいんだ、会いたくて会いたくて震えて膝が痛いんだ()

団扇!?いいわそんなもん!応援する楽しさなんてツアーで楽しめばいい!

だって、松竹座のステージにジャニーズのアイドル室龍太が立ってる!!!

それって、今まで”当たり前”に思ってた幸せなんじゃないか。

 

だからどうか、今日から(日付変わったわ)始まるクリパが、龍太くんにとっての幸せと思い出になりますように。

 

 

 

 

*1:ラスボス浜中文一

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